1987年No.21 活動報告

1987年4月28日
「雁坂峠」

車種:アマンダ・パスハンター
同行:単独
天候:晴れ

いつもの441Mで塩山まで輪行、すぐに自転車を組んで広瀬へと走り出す。
ダラダラの道に走り疲れた頃、集落、広瀬についた。
今までの登山道入口じゃなく、新しい入口から山道に取り付くが、訳が判らずタイムロスをしてしてしまう。
もう、峠直下で完全グロッキー。
雁坂峠は人一人いない静かな世界だった。下りは下りで雪だらけ。
しばらくラッセルしたが、それでも突出峠からは快適なダウンヒルを十分に楽しませてもらった。
国道へ出たら後は西武秩父まで、全力あるのみ!

(コース)
塩山3:15-新地平4:58/5:15-雁坂峠9:45/10:15-国道13:22-三峰ダム13:34/13:38-西武秩父駅14:42

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1987年5月3日-5日
「馬飼峠・刈谷原峠・徳本峠」

車種:アマンダ・パスハンター
同行:単独
天候:5/4 雨-曇り 5/5 快晴

3度目の徳本を目指すべく441Mで一路、松本へ。
しかし松本に着いてがっかり。天気は無情にも雨。
それでも、1日中ブラブラしている訳にもいかないので、松本市北部の刈谷原、馬飼、 両峠へ出掛ける。どちらの峠も、お地蔵様などが残っていて良い雰囲気だった。
昼になって晴れてきたので、いよいよ徳本峠目指し走り出す。結局、この日は島々谷の林道の終点まででテン泊。
翌朝、空は快晴。とにかく担ぎあるのみと、開き直って前進する。岩留小屋を過ぎたあたりから少々きつくなるが、とにかくじっと我慢。
峠直下、予想通りの雪で膝上までのラッセル になったが、その時、見覚えのある小屋が目に入った。
後は、お決まりのコースを松本目指して下るだけ。排気ガスとの戦いが始まろうとしていた。

(コース)
松本-稲村一馬飼峠一刈谷原一刈谷原峠一松本一島島一林道終点(泊)
林道終点一岩留小屋一徳本峠一明神一中の湯一島島一松本
タイムは取り忘れ。

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1987年6月30日-7月1日
「富士山」

車種:アマンダ・パスハンター
同行:単独
天候:6/30 晴れ 7/1 曇り-雨

山開き=報道人=目立つ。
こんな単純な発想から富士山行きを決めた。30日、スバルライン を重い荷物背負ってただひたすら大汗をかいて登り5合目へ。
まだ昼前だったので辺りの林道を物色しに行き、夕方には帰還。そのまま頂上目指して担ぎだす。8合目まで行ったところで、 東洋館のおやじが “泊まっていけよ....”
そのまま私は......ここでラッキーな事に報道陣に取材攻め。
どんだけ目立ちたいんだか。
翌朝は5時出発。
苦しかったが、10時ちょい前に無事頂上に到着。
しかし、頂は雨ザンザン。
仕方なく、カッパを着てのブル道下りと相成る。今回は、砂走りに下るコース。雨なのでおもしろくないかな?と思ったが、雨は雨なりにおもしろい。
御殿場の駅に着いた時は全身ドロドロ。やけに一般市民の視線が気になった一時だった。

(コース)
スバルライン料金所8:30-新5合10:43/17:05-8合目19:23(泊)
8合目5:10-山頂9:49/10:05-御殿場駅11:50

翌日、全国紙の一面を飾ることに。