1986年 No.18 活動報告

昭和61年7月~8月

1986年7月18日(夜行発)~19日
「夜叉神峠」
車種:Toei パスハンター
同行:坂田氏
天気:快晴

この日は日光の富士見峠に行く予定だったが、電車がなくなってしまい新宿へ。どこに行こうか迷ったが、2355の車中で夜叉神峠へ行くことに決める。
甲府から走り出すが、国道は大型車が多くスローペース。芦安の手前から上りになるが、坂田氏はMTBで頑張り、結構なハイペースになる。
きつい舗装の林道を上り詰め、夜叉神トンネル前の山荘着。
10分ほど休んでから出発。山道は最初ガレっぽいが、すぐに感じの良い小径になる。やはりMTBは重いらしく坂田氏は少しづつ遅れるが、大した差はつかない。
30分ほど自転車を押し進めると、峠のようなところに出るがまだ上だ。T字路を右に曲がり、そこから5分ほどで夜叉神峠に到着した。
早いがここで昼食を取り、北沢峠に向かうか2人で話し合ったが甲府に下ることとする。
上ってきた道を下るが、登山口までは10分強で下りてしまった。
乗車率100%で、なんとも呆気ない。
あとは竜王まで舗装路の豪快な下りだ。気温34度の炎天下の中、二人はこれまた豪快に下っていった。

走行距離 : 57.6km
獲得標高 : 1,640m

(コースタイム)
甲府駅4:00-芦安5:55/6:25-夜叉神山荘10:15/10:25-夜叉神峠11:00/12:05-夜叉神山荘12:15-竜王13:10

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1986年7月26日(夜行発)~27日
「硫黄岳・夏沢峠」
車種:Toei パスハンター
同行:なし
天気:晴れ

新宿のアルプス広場には20時頃到着。もう行列が出来ていると思ったが、そうでもなく拍子抜けする。
2355に乗り込むと珍しくすぐに寝てしまった。
早朝、茅野着。
ここでバスに乗り換えて美濃戸に到着するまでの間、またひと眠り。
美濃戸に到着してバスを降りれば、冷たい空気が身を包み自然と気が引き締まる感じがした。自転車を組み立て、登山口で入山届を出して出発した。
しばらくは40×16辺りのギア比で林道を走り、柳川を渡ったあたりからジワジワと標高を上げていく。すると程なく美濃戸山荘に到着、休むことなくそのまま先を急いだ。
柳川の北沢を渡ると林道の終点、そこからは担ぎを交えながら沢沿いを上っていく。数回、沢を丸木橋で渡ると赤岳鉱泉に到着した。
30分ほど水の補給を兼ねて休みを取り、その後に硫黄岳へ向けて出発した。樹林帯の中の掘れたような道を押していくと、いったん道は下り始めてジョウゴ沢を渡る。
これを過ぎると本格的な担ぎと押しが始まった。
相変わらず道は樹林帯の中に続き、途中にある25段くらいの梯子は問題なく通過できた。ジグザグに上り始めると赤岳が右手に見え、稜線が近づいてくるような予感がする。次第に樹木の密度が低くなり、森林限界を越す頃に赤岩ノ頭へ到着した。
硫黄岳まで小さいピークを越えるものの、特に問題になるところはなく、岩峰を左右に巻きながら登ると広々とした山頂に飛び出した。
30分ほど山頂にいたが、ガスってきたので夏沢峠に向けて下ることにした。しかしながら、乗車できる区間はほんのわずか。
小屋が見えてきてからわずかな間だけで、乗車率は20%ほどだろうか。それでも夏沢峠に降り立てば、小屋の人達から大歓迎され話が弾んだ。
「明日のバイト休んで泊まろうかな?」
一瞬そう思ったが、いやいや・・・それはダメだろう。
ここで思い止まり、残念だが本沢温泉に向けて下り始めた。

本沢温泉までは自分の技量だと乗車率60%程度、まだまだ未熟だなと思った。本沢からはジープ道を下る。
どんどん下る。
大幹線林道を横切り、稲子湯を通過・・・。
長い下りを終え、そして今、僕は小海線の海尻駅のベンチに座っている。小さな無人駅で一人佇み、青春18きっぷの「18」の数字を眺めている。
そして「これが僕の青春なんだ!」
そう強く実感し、そしてその思いを抱きながら心地よい疲労感に酔っていた。
背後にそびえる八ヶ岳を眺めながら・・・。

走行距離 : 23.3km
獲得標高 : 1,293m

(コースタイム)
美濃戸7:10-美濃戸山荘7:40-赤岳鉱泉9:50/10:15-硫黄岳12:30/13:00-夏沢峠13:24/13:40-海尻駅15:05

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1986年8月1日(夜行発)~3日
「金峰山・大弛峠・富士山」
車種:Toei パスハンター
同行:大月より坂田氏
天気:8/2快晴 8/3 晴れ

いつも通り、新宿から2355に乗って輪行。小淵沢で小海線に乗り換え、信濃川上で降りればバスに乗り継いで川端下に向かった。
バスを下車、自転車を組み立てて西股沢沿いの林道を上流へと進むも金峰山荘前からは荒れた道となり、とても走りにくい。しかも、所々で道が流されている箇所もある。また、シオサブ沢付近では大規模な崩落があり、やや高巻き気味にトラバースが必要だった。
ここを過ぎると道は落ち着いて、やがて中ノ沢出合(林道終点)に到着した。
さて、ここから登山道へと入っていくが、のっけから担ぎとなる。樹林帯の急勾配をガンガン登り、標高を稼いでいく。やがて木の根が張り出した歩きにくい斜面となるが、標高2,200mを過ぎるとやや傾斜が緩まり金峰山小屋に着いた。
ここの小屋番さんはなかなか気さくな人で、自転車を担いだ変人を快く向かい入れてくれた。小屋の人に見送られて出発すれば、巨石を積み重ねた斜面を登り、30分ほどで金峰山の山頂に到着したのだった。
山頂に鎮座する五丈岩。
ふと、自転車を担いで登れないものかと考えてみた。
と・・・。
ある登山者が「自転車を担いで五丈岩に登ってくれないか?」と尋ねてきた。
いやいやいや・・・無理だと答えるが、山渓の写真コーナーに投稿したいので是非にとお願いされた。
これは仕方ない・・・元来、目立ちたがり屋の自分としては、ここで登らないでどうする!的な発想で、このお誘いを受けることとした。
岩に取り付くと、しっかりとホールドを探して一歩一歩じりじりと身体を引き上げて登っていく。自転車はというと、その方に一旦預け、体勢が整ったところで引き渡してもらうという方法にした。最後の2mほどはホールドが見つからず焦ったが、強引に登りきるとそこが五丈岩のてっぺんだった。
早速、自転車に跨るが怖くてどうしても右足が地面から離れない。
そうこうしているうちにOKのサインが出たので、足早に下ることとした。
と、同時に。
山頂にいた20人ほどの登山者が一斉に拍手!そして、いつも通りの質問攻め。
ひと段落したところで昼食を取り、大弛峠方面へ縦走を開始した。山頂から御室小屋方面との分岐までは乗車できたが、それ以降は深く掘れた樹林帯の道を進むことになり押しも交えて進むことになった。
鉄山の南斜面を巻き、しばらく進むと朝日岳への上りが始まる。露岩を通過し、わずかに登ればそこが朝日岳の頂上だった。
自転車に乗ったり押したりしながら下ると、そこは朝日峠。東股沢から大雉沢を経て上がってくる小径は楽に発見できたが、アコウ沢から水晶峠方面に下る道は藪により完全に消滅していた。
朝日峠から大弛峠までの細かなアップダウンには嫌気がさしたが、最後は階段を下ると大弛峠に到着した。
あとは勝手知ったる大弛の下り。
1回、かなり派手に落車して宙を舞ったが、大した怪我もなく塩山まで豪快なダウンヒルを楽しんだ。
ところ変わって、ここは大月。
翌日は山サイ研の富士山集中にため、ここに移動してきたのだった。
本来は塩山から笹子峠を越えて自走しようと思っていたが、時間の関係で輪行してしまった。
時間は夜の10時半。
ホームを見ると「あれっ?」
2355で来るはずの坂田氏が居るではないか。彼曰く「もう居るかと思って早めに来た。もしかしたら最終の富士急に乗れると思って・・・」
しかし、残念ながら富士吉田行きの富士急は、もうすでに発車した後だった。残った方法は、朝一番の電車で移動することだが、それでは山サイ研の集会に間に合わない。
仕方ない・・・富士吉田まで走るか!
そうと決まれば、早速自転車を組んで大月駅を後にした。
富士吉田までは国道をひた走るのみ。夜間なので暑さもなく、昼間であればダラダラとした上り基調も気にならない。
やがて富士吉田の市街地に入れば24時間営業のスーパーで夜食を食べ、さらに河口湖方面へとペダルを漕いでいった。
深夜3時過ぎ、河口湖にあるバスターミナルに到着。
ここで自転車をバラし、輪行袋に収めてから少々仮眠を取った。そして午前4時半、バスに乗り込み吉田口の五合目へと向かったのだ。
バスの運転手さんの「気を付けて」という見送りと共にバスを降り、真夏ながら震えるほど寒い五合目で自転車を組み立てた。
ウインドブレーカーなどを着込んで出発。林道を軽いギアで上っていくと、程なくして佐藤小屋を通過した。
そこからはひたすら押しの一手。
ただ、登山者からの質問責めにやや閉口してしまった。
「頂上まで行くの?」
「頂上からどうやって下るの?」
「乗って下れるの?」
等々。
少々うんざりしながら担ぎ進めると八合目を通過。さらに黙々と担ぎ続けるが、この辺りでかなりバテてきた。
坂田氏と言えば、かなり上方を歩いているのが見える。
ここに来て前日の疲れと寝不足が一気に襲ってきた感じがした。行動食のカロリーメイトをかじりながら何とか誤魔化し、そして上り続けると九合目に着いた。
冷たい風が汗をかいた身体を急激に冷やしていく。ヤッケを身にまとって出発。
じりじりと山頂への道を上り詰め、ようやっとの思いで山頂直下の鳥居を通過した。
「頂上だ!」
五合目から実質8時間。
ずいぶん遅れてしまい、坂田氏には申し訳ないことをしたが、ともかく山頂に登れてよかった!
すぐに山頂に建つ山小屋に入り、明日のことを話合った。
明日は山サイ研の富士山集中だが、実はこの時、台風が接近中であった。その事を考えると、きっと集中は中止だよね・・・という結論。
結果、このままブル道を下ろうということになった。
そうと決まれば話は早い!
そそくさとブル道の下降点まで移動し、富士山レーダーをバックに颯爽と下り始めた。
砂煙が上がる!
妙な快感が全身を包み、やがてスピードとか斜度への恐怖感がなくなってきた。
「うおおおっ!!」
雄叫びを上げながら、どんどん下っていく!
御殿場口まで50分足らずで下り、そこからは更に豪快な舗装路の下りだ!
ただただ、ひたすら下るだけ。
富士山頂から約1時間半弱で御殿場駅に到着。
今回の旅はちょっとちぐはぐではあったが、これはこれで中々楽しい旅だった。
そして、旅の最後は坂田氏に奢ってもらったアイスクリームで幕を閉じたのであった。

走行距離 : 106.5km
獲得標高 : 3,130m

(コースタイム)
川端下8:00-林道終点9:05/9:10-金峰山小屋12:00/12:15-金峰山12:45/15:00-朝日岳15:55-大弛峠16:45/16:50-焼山峠17:35-塩山18:55(輪行)-大月22:25/23:00-
富士吉田2:30/2:55-河口湖バスターミナル3:25/4:30(バス輪行)-富士五合目5:25/5:50-六合目6:15-富士山頂14:00/15:30-ブル道終点16:20-御殿場16:50

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1986年8月14日(夜行発)~17日
「徳本峠・塩尻峠・杖突峠・金沢峠・麦草峠」
車種:Toei パスハンター
同行:なし
天気:8/15 晴れ 8/16 晴れ 8/17 曇り-雨

今回は前々から行きたかった徳本峠行き。緑の小径の17号、I氏の活動報告の通り、私も徳本峠は島々谷から入るべきだと思っていたので、松本からの走行となった。
島々谷の林道入口までは、ほとんど上っていることを感じさせない国道を走っていく。右手に「徳本峠入口」の大きな看板を見れば、ここを右手に折れて島々谷へと進んでいく。
道はほどなくしてダートとなるが、とても走りやすい道が続く。左手に大きな砂防ダムを見るとゲートがあるが、そのまま直進。
途中の分岐を左に進むとすぐに林道終点だった。
ここには小屋が建っているが、人がいる気配はない。登山道に入りわずかに押し進めたが、その後はかなりの確率で乗車できる素晴らしい小径が続いていた。
緑一色の樹林帯と苔むした谷、最高の気分だ。
やがて岩魚留小屋が近づいてくると桟道が多くなり、自転車を降りるほうが多くなってくる。そうこうしているうちに、時間が止まったような風景が広がる岩魚留小屋に到着した。
木造作りの小屋。
昔ながらの日本家屋のようだ。
そして緑の森が小屋を包み、何とも言えない雰囲気を醸し出している。
よい気分に浸り、ちょっと気持ちも入れ替えて再び峠に向かって進み始めた。ここからは完全に押しの一手となり、沢の本流から離れるといよいよ急勾配のつづら折れとなった。自転車を担ぎ、笹の中の小径をゆっくりと登っていく。
汗が流れ、そろそろ休もうか・・・と思った頃、待望の徳本峠に到着したのであった。
と同時に・・・。
凄い迫力で迫る穂高連峰の山々が目に入ってきた。
しばし無言で立ち尽くす。
「ここが徳本峠か」
それから45分ほど峠に佇み、この展望を目に焼き付けた。
さて、出発の段になり中村新道を蝶ケ岳方面に向おうと思ったのだが、別の登山者から人が歩いてなく、相当荒れていると聞かされた。
ここは仕方なく、素直に明神へと下ることにした。
峠から明神まではほとんど乗車できるが、数か所大きな段差があるので注意した。
気持ちよく小径を下り、明神に到着すれば人・人・人。
これを嫌い、明神橋から対岸へ渡り林道を走ることにした。この道は走りやすく快適、ほどなくして河童橋へとたどり着いた。
ここも観光地らしく人・人・人。
自転車で上高地に来る機会はそう多くないが、長居は無用とすぐに松本に向けて下り始めた。
世にも恐ろしい通称「釜トン」を下り、松本に向けてひた走る。国道のトンネル群にはうんざりしたが、それでも快調に飛ばし2時間弱で松本駅に到着できた。
いつも通り、駅前の公園で店を広げていると京都産業大学の人と一緒になり、自転車の話に花を咲かせながら一夜を過ごした。
翌日は朝8時に出発。
今日は国道19号線を走り塩尻峠を越え、茅野辺りまで進もうという楽勝コース。昨晩、松本で一緒になった京産大のサイクリストと一緒に走る。
松本の街を抜けて塩尻市内から高ボッチ山への道を分けると、次第にダラダラと続く峠道となった。勾配は大したことないのだが、32度という暑さがなかなかの曲者だ。
京産大の人は何やらブツブツ独り言。
私は40×16-18あたりのギアでじっくりと登っていく。
ふと昨年のことを思い出した。
「こんなにきつかったっけ?」
そう、私は大きな間違いをしていたのだった、昨年はロードにフロントバッグ一つという身軽な装備。今回はと言うと、パスハンで45Lザックいっぱいの荷物。おまけにトークリップ・トーストラップはなしで、足元は登山靴だ。
なるほど、思い出と現実に大きなギャップがあるはずだ。
それでも這う這うの体で塩尻峠にたどり着いた。水をがぶ飲みして一息付く。
京産大の人は少しバテ気味だ。
しかし、あとは茅野に向かって下るだけだ。この峠はあっという間に下り切って上諏訪を通過、そのまま茅野に向けて走り続けた。
お昼のサイレンが鳴る頃、新しく建て替えられたばかりの茅野駅に到着。まだ時間があるの空身で杖突峠に行くことにした。
茅野駅の日陰で2時間ほど休み、旅行案内所の綺麗なお姉さんに荷物を預けてから出発した。
宮川を渡ると杖突峠への上りが始まった。勾配は大したことなく、感じのよい峠道だ。何となく、本当に何となくペダルを回していたら呆気なく峠に着いてしまった。
まだ時間がある。
そう思うと、金沢峠方面へ伸びる林道を走ってみることにした。金沢峠は以前、北沢峠を自転車で越えた時に黒河内林道から芝平峠経由で行ったことがあったため、ある程度の感じは掴めていた。
しかしながら、その「感じ」はまったく異なっていた。
金沢峠へ至る林道はゴルフ場に通じているため全線舗装され、いささか残念なことになっていた。ポタリング向きの道としては最高だろうけど、山サイには向いてないなと思った。
金沢峠からは木舟の集落方面に向けて下るが、この林道は実に面白いのだ。はっきり言って、道というよりは「沢」の様相を呈し、下り勾配は富士山のそれ以上!
ただし、過去2回の走行から木舟の集落に直接下る道は見つけ出せていない。五万図の実線部分で木舟と鏡湖への分岐を確認できるが、どうにもその分岐自体を見つけることができない。
それらしい道は存在するが、とてもじゃないが下れそうにない道なのだ。
ここは仕方ないので鏡湖方面に一度登り返し、国道まで一気に下っていった。
茅野駅に戻ると、今日はここで1泊とした。
翌17日は3度目の麦草峠越え。
特筆すべき点はない。雨の中を黙々と走り、八千穂駅から車中の人となった。
このサイクリング、ちょっと無計画なところもあったが、それも旅の楽しみの一つだということを知れてよかった。
そして最後に。
「徳本峠は最高だ!」

※大滝山・蝶ケ岳方面の中村新道。情報は間違いで実際にはいい道だと知り、後に地団駄を踏んだ。

走行距離 : 213.8km
獲得標高 : 5,179m

(コースタイム)
松本駅7:30-新島々8:15-徳本峠入口8:35-林道終点10:00-岩魚留小屋10:50/11:05-徳本峠14:05/14:45-上高地15:55/16:00-松本駅17:50(泊)
松本駅8:00-塩尻峠10:50/11:05-茅野11:55/14:10-杖突峠15:20-金沢峠16:05/16:15-鏡湖入口16:55-茅野駅17:20(泊)
茅野駅8:00-麦草峠11:30/12:40-八千穂駅14:05

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1986年8月26日(夜行)~30日
「折橋峠・月夜沢峠・野麦峠・美女峠・平湯峠・安房峠・旧鳥居峠・碓井峠」
車種:Toei パスハンター
同行:なし
天気:8/27 快晴 8/28 快晴 8/29 晴れ-雨 8/30 雨-曇り 8/31 快晴

いつも通りの2355に乗り込んでいたが、この日はどうも様子がおかしかった。
冷たいビールを飲んでいると、いきなり酔っ払いの男に絡まれた。旅の出だしから不愉快極まりなく、まったく相手にしないでいると正面に座る女性3人組に絡み始めた。
最初はやり取りが可笑しくで様子を見ていたが、徐々に女性達の機嫌が悪くなっていくのが、手を取るようにわかり始めた。
「うーん・・・」
そこで私はその酔っ払いに「向こうで一緒に飲もう!」と誘いをかけ、実際に飲みたくもない酒を一緒に10分ほど飲み「じゃあ、戻るわ」の一言で、その男を遠ざける算段は成功した。
座席に戻れば、その女性達から「ありがとうございます!一緒にトランプでもしませんか?」とのお誘い。
聞けば女性達は高校2年生、清里へ旅行に行くそうだ。そこからすっかり意気投合し2時間ほどお喋りに費やしたのだった。
小淵沢で降りる彼女達、そのうちの一人から何と連絡先の電話番号と住所をいただいた。
そんなこんなで小淵沢でお別れした後、私は上諏訪・塩尻で乗り換えを済ませ、午前8時前には学生たちで溢れかえる木曽福島駅に到着したのだった。
早速自転車を組みたて、まずは今回のメインターゲットの月夜沢峠に向けて走り出した。
国道を進み、途中の折橋集落で旧峠への入口を探すも見つからず、そのまま折橋隧道で木曽方面に抜けてしまった。
そこから小野原まではひと下り、そこから末川沿いに伸びる月夜沢林道へとペダルを漕いでいった。林道に入るとすぐにダートとなった。道は単調でフラット、実に走りやすく気が抜けた感じだったが、それも月夜沢林道と末川併用林道との分岐までで、そこからは河原のように荒れた林道の走行となった。
遥か前方に月夜沢峠と、そこまでに至る林道が大きな沢を巻きながら上っているのが見えた。
「はあ」
大きなため息をついて、それでも28×24という軽いギアでゆっくりと進んでいった。しかし、いよいよ乗車することが難しくなり、峠道も半ばで押しとなってしまった。
「2時間もあれば着くだろう・・・」
そう思えば心にゆとりも生まれ、標高1,700mを越えると路面状況が一変。実に走りやすい道となったので、喜々とペダルを回すとほどなくして月夜沢峠に到着した。
峠からは木曽御嶽山や乗鞍岳が美しく見える。ここまで展望が良いとは思わなかったので、これは嬉しい誤算だった。
少々休みを取ってから下り始めた。
しかし、野麦側の下りは落石が多く荒れている。
と、前輪がパンクしてしまった。
下したてのデュロマックスだったが、初回でパンクするとは・・・。
チューブを取り出し素早く修理を終え、何とか野麦街道へと下りそのまま野麦峠へと向かった。全線舗装で緩傾斜、特に特筆することもなく野麦峠に到着。
峠からの下りも、わずかに残っていたダートも全てなくなり完全舗装となってしまった。対向車の多い細い道を下っていくと、やがて高根ダムで国道361号線と合流。
甲の集落で右に折れれば、美女峠への上りとなった。
ここで突然の大ブレーキ。すぐに一番軽い28×24でジグザグ走行となった。
「一番楽な峠のはずなんだけどな」
そう思いながら、大汗をかきながら止まりそうなスピードで上り、やっとのことで美女峠に到着したのだった。
さあ、高山まで一気に下ろう!
アッという間に猛烈なスピードで下れば、そこは高山の街だった。
翌朝、いつもの高山駅で夜を明かし、珍しく朝市などに顔を出してみるも特に何も買わず駅に戻ってきた。
今日はここで知り合った東農大のキャンピング命、I氏と一緒に松本まで移動することになった。越えるのはあの平湯峠と安房峠だ。
昨日、走った道を美女峠の入口まで戻ると、ここから小さな無名の峠を越えて丹生川町で国道158号線は東に向きを変える。ここから鉾旗集落までは特に問題ないのだが、そこからは平湯峠に向けて標高を稼ぎはじめるのである。
猛烈に暑い気温の中、じりじりと上って平湯トンネルとの分岐まで来た。よっぽどトンネルに入ってやろうかと思ったが、ここは峠好きのサイクリストとしての自負があるので、根性を入れなおして旧道へとペダルを漕ぎ始めた。
上り自体は調子がいいのか、そう急には感じない。ただ、暑さとの闘いだ。
アスファルトからの照り返しに悶えながら上ると、何回目かの平湯峠に到着した。
峠の売店で五平餅を買い求め、やっと一息ついた。
5分ほど休んで息を整えれば、ここから一気に平湯温泉へと下っていったのであった。平湯温泉から間髪入れずに安房峠へと上り始めるが、いきなり12%の坂。
樹林帯の日陰の中を進み、アカンダナ山を大きく巻くように上って行くと安房平に入る。平と言っても上りなのだが、辺りは美しい夏の景色が広がり「これなら来た甲斐があった」という感じである。
安房平からはそうきつくない道を進むと、ひょっこりと安房峠に到着した。
峠は切通しになっており、その向こうにはドーンと穂高連峰が目に入ってくる。ここで峠のフラッグを買い求め、アタックザックの横に縛り付ければ、いよいよ松本へのダウンヒル!
安房峠からの下りは交通量が多く、ヘアピンカーブの連続するところでは大型バスとのすれ違いに少々焦ったが、すぐに慣れてアッという間に中の湯に着いた。東農大のIさんも10分ほど遅れて下ってきた。
ここからはトンネルが連続する区間で、ここは何度来ても精神的に疲れるところだ。特にダム上に出るまでの奈川渡トンネルが一番怖い。
以前、トンネルの中でサイクリストの事故を見て以来、どうも苦手だ。
悪魔のようなトンネル地帯を抜ければ、あとは松本目指してひたすら走るだけ。1時間半後には、何とか松本駅前の公園に到着できた。
この晩は駒沢大のサイクリング部20名と自転車好きのバイカー2名、そして私たちで深夜まで大盛り上がりであった。
翌朝は5時過ぎに目が覚めた。
今日は鉢盛山林道を上り鉢盛峠を目指す予定だったが・・・とりあえず情報確認のため朝日村役場まで走り、そこで職員の方に尋ねてみると・・・。
「峠付近で土砂崩れが発生して通れないんですよ」との返答。
結局、10kmほど遠回りをした上に林道が通れないことがわかり、完全に心の糸がぷっつりと切れてしまった。
当て所なくふらふらと国道19号線を南下、奈良井宿を通過した辺りでふと頭に思い浮かんだのが、ニューサイクリング誌に紹介されていた旧鳥居峠だ。
「まあ、とりあえず行ってみるか」
こういう気乗りしない時は、まあ大した感動もなく30分程で峠に着いてしまった。あとはただ藪原に向かって下るだけ。
と。
藪原駅に到着したと同時に、バケツを引っ繰り返したような雨になった。この駅で寝ようと思っていたのだが、雨の中、何もない藪原の街は心が折れた自分には余りにも寂しく、ここで自転車をバラして茅野駅まで輪行。
そのまま、今日のねぐらはこの駅とした。
翌朝も目を覚ませば結構な雨模様。
走る気も起きず、6時過ぎの電車に飛び乗って小淵沢から小海線へと乗り継いだ。空の様子を伺いながら進むと海瀬辺りで太陽が顔を出した。
小諸から車坂峠、嬬恋辺りから東進するか・・・。
そう考えていたのだが、人の心は何時どう変わるか分からないもの。
「家まで走って帰ろう!」
いきなりそう思ったのだ。
そうと決まれば、気が変わらないうちに自転車を組み立てて、軽井沢に向けて走り出した。しかし、千葉の自宅までなんて遠いことだろう。
しかも、このパスハンはトークリップなし、足元は登山靴、背中には45Lのアタックザック。トップは最高でも40×14Tだ。
碓井峠を下り、高崎に入ったあたりから腰が痛み始めた。
休みが多くなる。
暑さのためか頭がぼんやりとして・・・。
走り出した時間が遅かったこともあり、今日の目的地は65km先の桶川周辺に定めた。本庄・深谷・熊谷・鴻巣・北本と国道17号線をひたすら南下。
夕刻の6時半頃に桶川へとたどり着いたのであった。
そう、この桶川を目的地とした理由・・・。
それは、行きの電車の中で出会った女子高生だ。つい話をしたくなり、公衆電話からいただいた電話番号に掛けてみると・・・「会いたいな」と言ってくれた。
早速、待ち合わせ場所を決めてじりじりとするような時間が経過すると、とびっきりの笑顔で彼女がやってきた。
尽きることのない無駄話。
こう話しをしていると、不思議なもので疲れきった身体が癒されてくるようだ。結局、2時間ほど会話を楽しみ、次の日曜日に会う約束を取り付けて家に送っていったのだった。
そしてどういう訳か、その後、交番のおまわりさんと話し込み、結局、近くの公園で横になったのは深夜1時過ぎであった。
次の日は5時過ぎに桶川を出発。
国道をひた走り、都心を抜けて江戸川を渡る。
途中、電車移動を含めてしまったが、驚くほどに大きな充実感となって、その想いが身体を満たしていった。
もう2度と同じ夏は来ないんだろうな・・・。

走行距離 : 448.9km
獲得標高 : 6,962m

(コースタイム)
木曽福島8:15-折橋峠-月夜沢峠11:45/12:05-林道終点13:05-野麦峠13:50/14:10-美女峠16:50-高山17:30(泊)
高山7:40-平湯峠11:25/12:00-平湯12:20-安房峠14:25/15:10-中ノ湯15:35/16:00-松本17:30(泊)
松本8:15-朝日村役場10:05/10:20-洗馬11:05-奈良井宿12:30/12:40-旧鳥居峠13:15/13:25-藪原13:45/21:11(輪行)-茅野22:30(泊)
茅野6:14(輪行)-小諸10:12/10:40-碓氷峠12:15-桶川18:30(泊)
桶川5:00-自宅9:42

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1986年9月14日~15日
山サイ研集中ラン 「半月峠・粕尾峠・古峰ヶ原峠」
車種:Toei パスハンター
同行:須山・長嶺・坂田各氏(2日目は山サイ研集中ラン)
天気:8/27 快晴 8/28 快晴 8/29 晴れ-雨 8/30 雨-曇り 8/31 快晴

13日の夜、東武電車の山岳夜行に乗り込むと、同じく集中ランに向かうS山・N嶺両氏と出会う。自分たちは阿世潟峠に向かうつもりだと告げると「すぐに登れちゃうよ!」とのことで、両氏の半月峠越えに引っ張り込まれた。
無事、半ば廃道と化した半月峠を越え、粕尾峠を経て集中場所の古峰ヶ原峠にたどり着いた。
ここでのキャンプは大盛り上がりで、0時を回った頃に登場した石井(昭)・伊藤(眞)・糟谷・鹿島各氏が来てからは大盛況!
酒宴と花火で楽しい時間を過ごした。
翌日は鈴木氏の案内で井戸湿原へ、12時頃に古峰ヶ原へ戻ると坂田・佐宗両氏と古峰ヶ原神社へと下り、そこから土砂降りの雨の中、鹿沼まで走りました。
最後に、半月峠へ同行させていただいた須山・長嶺両氏、差し入れを持ってきて下さった大森氏、古峰ヶ原案内役の鈴木氏、そして楽しい話を提供してくれた石井・伊藤・糟谷・鹿島・松田・佐宗の諸氏。
その節は大変お世話になりました。

走行距離 : 66.8km
獲得標高 : 1,276m

(コースタイム)
中禅寺湖6:20-狸窪6:40/7:40-半月峠8:30/8:50-深沢10:40-林道出合11:50/13:00-粕尾峠分岐13:20-粕尾峠14:20-古峰ヶ原峠15:40(泊)
古峰ヶ原峠10:10-井戸湿原往復-古峰ヶ原峠12:35/14:05-古峰ヶ原神社14:30/15:00-鹿沼16:30

山サイ研・古峰ヶ原集中の面々