紀行文「大弛峠」

山岳サイクリングを始めて間もない頃、大弛に行った。
ようやく春になりはじめた5月3日であった。
山へ行き始めて1度は、と思っていた大弛に向かうため新宿を後にした。
2355に乗って・・・。

塩山駅を後にした。
まずは焼山峠までと力んで進むも、これも牧平の集落まで。ペースは落ちる一方、へとへとになって塩平の集落にたどり着いた。
手持ちのポカリスエットを立て続けに2本飲んだ、と同時に集落全体にサイレンの音が鳴り響いた。時計を見ると6時ちょうど。
差し詰め「塩平式目覚まし時計」といったところか。

一息ついて15分後には塩平を後にした。
すぐに焼山峠への急登が始まる。
気にしない気にしない・・・28×20Tくらいのギアでノロノロと登っていく。
遥か上に続く道を仰ぎ見ながら・・・。

ずいぶん上まで登ってきた。
どうやら最後の直線らしい。峠がだんだんと近づいてくるが焦ってはいけない。はやる気持ちを抑えながらペダルを力強く回す。
そこに1台の車が見えた。
そう、峠へ着いたのである。

まだまだ喜んではいけない。
敵は遥か上方、手招きをして待っている。峠からダートの道を下り、俄かに新緑が美しい牧場の脇を抜けて林道のゲートに到着した。
いるいる、オフロードバイクやらランクルが。
ここは自転車の特権、ゲートの脇から林道へと進む。この先は車が入っていないので少し荒れていそうだ。
ゲートを通過できない者達の視線を背中に感じながら、ここでも一息ついてから出発となった。

何だ、こんなに楽なのか・・・と思えたのも桜沢を渡るまで。
急に勾配が増した。
しかし思ったほど路面は荒れておらず、走行はそんなに苦にならない。
その時、上から登山者が下りてきた。
足元にスパッツを装着して・・・。

アコウの土場を過ぎるとまったくの雪道になった。
積雪は20-40cm。
その頃の私は登山靴を持っているはずもなく、靴はガントレであった。靴の中はびしょびしょに濡れたが、不思議と冷たさは感じなかった。
山全体が笑っているように思えた。
ラッセルに疲れ、上を見上げれば、まだ峠道は遥か上方へと続いていた。
真っ白い世界。
見上げれば真っ青な空がどこまでも続いている。
そんな中で、私は自分の無謀さと自然の中での無力さに絶望を感じていた。

一息つくためにザックを下した。
それに腰掛けて五万図を開き、自分がいる林道付近に目を落とした。いい加減、峠に近づいていることを知ると、ザックを背負い直してラストスパートをかける。
最後の足掻きであった。
そして目前に小屋が見えた。

峠だった。
大弛だった。
塩山を出発してから9時間が過ぎようとしていた。誰一人いない世界、私一人だけがこの峠に立っている。
最高の気分だ!

下山路もやはり雪道だった。
乗れると思ったら大間違い、七転び八起き・・・それなりに楽しいものだ。
1.900m地点で雪がなくなった。
後はただただ下るだけ・・・。

集落らしい集落にたどりついた。川上村の秋山である。
この大弛に出かけるひと月前、中津川林道の三国峠へ行くときに立ち寄ったばかりだ。
スーパーに立ち寄り、ポカリの大瓶を買って一息に飲み干した。

佐久広瀬駅。
駅のホームで終電を見送ると急に眠気が襲ってきた。
そして、そのまま深い眠りについた。
今日一日の出来事に満足しながら。