紀行文 「厳冬 夏沢峠と大弛峠越え」

1986年2月号のニューサイクリング誌。
山サイ研の小林・荒川両氏が寄稿された「厳冬 大弛峠」の記事は、当時、まだ10代だった僕にはかなり刺激的で、とてもではないが当時の自分では達成不可能、まさに頭の中で空想するだけの未知の世界とも言えるようなものだった。
一言一句を覚えられるほど、何度も何度も繰り返し読んでは雪の大弛峠に想いを馳せ、その度に「自分には無理だろう」と思ったことを、今でもよく覚えている。

そして今年の10月。
長い眠りから覚めて山サイ研へと復活、川上村の川上山荘でその荒川氏と再会した際、最初にお話しさせていただいたのがこの記事の事だった。
それからと言うもの、忘却の彼方に置いてきた遠い記憶と憧れが、自分の頭の中にぐるぐると渦巻き「今ならやれるかもしれない」と自問自答する日々が続いていたのだ。
20年以上、山岳ガイドを生業にしてきたし、山の経験は十分過ぎるほど積んできた。
体力は衰えてきたが、そこは経験でカバーできるはず。
装備も問題ない。
万一の際にも、対応できる能力は十分あるはずだ。
唯一、不安なのは自分の衰えた脚力のみ。
なんとなくぼんやりとした旅の輪郭を頭の中に浮かべつつ、まずは了解を取り付けなければならない妻に相談すると「行っておいで」と。そして無理だと思ったら「無理しないで途中で帰ってくれば?」との返事。
これで腹は決まり、奇しくも小林・荒川両氏がアタックした日程と同じ1月3日に大弛峠を越える計画を練り始めた。
地図を眺め、あれこれとルートを考えていると「ん?」。
「夏沢峠」
無雪期には何度も自転車を従えて越えたものだが、この時期となれば初めてだ。車の回収を考えるといささか億劫だが、大人になった現在であれば財力にものを言わせてやってやれないことはない。
こうして、下記のような日程ができあがったのだ。

1日目:桜平駐車場-オーレン小屋-夏沢峠-本澤温泉-稲子湯-海尻-信濃川上
2日目:信濃川上-川端下-峰越林道-大弛峠-山中(泊)
3日目:六本楢峠-塩山(電車移動)-茅野(タクシー)-桜平(車回収)

これを年始ランの計画としてFacebookに書き込んだところ、同じ山サイ研のM氏より同行したいとの知らせが届き、それを了承。
氏の強さと経験は予てから知っており、こちらが逆に迷惑を掛ける恐れもあったが、そこは自分のペースを守って走るということを念頭に置けばいい・・・そう思い、同行を願うこととした。
そしてM氏のパートナーとも言えるF氏も合流し、何とも心強い強力な同行者を得たのだった。

こうなると次は装備だ。
当初の計画ではソロで決行予定だったため幕営を考えていたが、同行者がいるとなれば宿に泊まることとし、極力、荷物を減らして1日で抜ける予定へと変更した。
防寒と安全マージンを取ったなかで、如何に荷物を軽くするか・・・それが今回の大きなテーマとなった。
まずは防寒。
これは登山で通常使用している冬山用の装備で問題ないと考え、最新素材を使用したインナーとフリース、そしてゴアテックス・ウインドストッパーを使用したインナーシェルを重ね着することとし、アウターにはイーベント素材のソフトシェルを着て動きやすさを確保。
ボトムはペダリングの動きを妨げないよう、パールイズミの冬用タイツ(0度対応)にゴアテックスのソフトシェルを組み合わせ。
グローブには高い保温力と防水性で知られる防寒テムレスを着用し、靴は厳冬期用の登山靴を選んだ。
「これで寒さには対応できるはず」
そう確信した。
ただし、自転車は運動量が豊富で発汗しやすく、その汗による濡れとそれに伴う放熱が問題になると考え、極力保温を保った状態で適時ベンチレーションを開放し、その対策とした。
また、濡れた際に着替えられるよう、帽子・グローブ・靴下・アンダーは各3枚づつ予備を持参。
肌に触れるものを濡らしてはいけない、冬山に於ける鉄則なのだ。
次に安全面。
もし1日で大弛を抜けられなかった場合どうするか。
幸い、峠の大弛小屋は冬期一部開放となっており、布団なども用意されていることは分かっている。であれば、スリーシーズンのシュラフで事足りるはずだし、それでも寒ければツエルトの代用として輪行袋をシュラフカバーとして使ってもいい。
食事は一晩くらい摂らなくても平気だが、温かいものを飲めるようチタン製の小型バーナーとコッヘル、そしてボンベを1台だけ持っていくことにした。
なお、行程の途中でのビバークは前述の通り、輪行袋を被ってありったけの物を着てシュラフに潜り込む。
これで一晩は切り抜けられると考えた。
その他の装備としては、ラッセルに備えてワカンを持参、あとはテクニックがない部分をカバーできるようシュワルベ製のスパイクタイヤを装備。
こうして当日を迎えることになった。

午前6時半。
社外の温度計はマイナス9度を指している。
前夜、桜平の駐車場に車を停めた私は眠たい目を擦りながら自転車を組み、圧雪された急勾配の林道をノロノロと登り始めた。
同行の両氏は茅野駅周辺で仮眠を取ったはず、あの強烈な脚力からすると追いつかれるのは時間の問題と、ここは一足先に出発させてもらった。
スパイクタイヤのおかげで林道のアイスバーンもグングンと登ることができ、ほどなく桜平の登山口に到着。そのまま休みも入れずに夏沢鉱泉へと向かった。
林道を30分も進めば夏沢鉱泉に到着、ここは多くの登山者で賑わっていた。山中で自転車を見かけるのが珍しいのか、興味本位で様々なことを尋ねられる。
何処へ行くのか?
重さはどのくらいあるのか?
雪の上は走れるのか?
質問されることも、人々が興味を示すのも、私が高校生の頃から何も変わっていないのだと妙に懐かしく、そして少し可笑しくもあった。
ここを過ぎると本格的な登山道となるのだが、年始だけあってトレースはばっちり。
とても歩きやすい道をたどり、ひっそりと静まりかえったオーレン小屋に到着した。
周辺の積雪は30cmほどで、外気温はマイナス12度。
いよいよ身体の芯まで冷えるような寒さになってきたが、自転車を押しながら歩いているためか、久々の冒険に胸躍っているのか、そこまで寒さを感じなかったのは不思議だ。
なおも完璧に踏み固められた歩きやすい道を進み、右方向へ緩やかに登り詰めるとあっけなく夏沢峠に到着した。
冬の八ヶ岳らしく風が強く、そのためか雲が飛ばされ眼下には西上州の山々をはっきりと確認できる。登山では何度もここを通過しているが、自転車を相棒にやって来たのは実に30年ぶりのことだ。ここは序章に過ぎず、特別な思い入れもなかったが何となく嬉しく、そして懐かしかった。
寒さに耐えながら結局20分ほど峠に留まったが、先はまだまだ長い。
いよいよ本沢温泉に向けて出発した、と同時に「んんん!」と思わず声をあげてしまった。
夏場には煩わしい木の根や岩が全て積雪で隠され、完璧にフラットな状態ではないか!
何と最高な雪上ダウンヒル!
乗車率100%、雪がこれ以上多くても少なくてもダメな状態。
時折、後輪をロックさせながらドリフトターン、もう最高に快適で楽しい至極のひと時。
30年前から相も変わらず横たわる倒木の脇を通り抜け、傾斜の緩まった道を下るとアッという間に本沢温泉に到着した。
ここで最初の峠を越えたことで一息ついていると、満面の笑みをたたえたM・F両氏が下ってきた。そりゃそうだろう、あの最高の下りで笑顔にならない自転車乗りはいないだろうに・・・。
ここからの下りは傾斜が緩く、トレースも薄いためか走りにくいこと暫し。それでも両氏はすぐに自分の視界から消えていくスピードで下っていった。
自分は自分のペースで、酷く迷惑を掛けない程度のスピードで進み、八ヶ岳林道との交差点で再び合流。
陽だまりの中でのんびり休憩を取り、ここからは凍結した舗装路を下り稲子湯へ、さらには国道141号線を経て信濃川上へと向かったのだが・・・。そう、足元のスパイクタイヤは雪道でその威力を発揮、素晴らしいパフォーマンスを感じることができたが舗装路ではとんでもない抵抗と重さを感じる。
体力を30%ほど削がれている感覚の中、それでも何とか走りきって信濃川上に到着したのは13時半頃だっただろうか。
宿に向かうにはまだ早い時間だったため、町内のスーパーで宴会用の酒類を買い込んでささやかな祝杯を上げることにした。
「あー久々の感覚だ」
仲間と一緒に自転車で旅をする。
久々の感覚で嬉しくもあり懐かしくもあり。
さあ、最後の一息。
足はすでに売り切れているが、それでも何とかヨロヨロと走り切り、15時過ぎには川上山荘へと投宿。美味しい食事と酒宴で楽しい時間を過ごし、明日の大弛峠へはやる気持ちを抑えながら眠りについたのだった。

2日目はいよいよ大弛峠越えだ。
朝5時半に起床。
準備を整えて6時半には宿の朝食を済ませ、7時には川上山荘を後にした。外の気温はマイナス7度、風が強く小雪が舞っている。峠方面に目を向けると薄い灰色の雲に覆われ、山の上もおそらくは雪が降っていることが伺い知れた。
峰越林道の入口から雪道となるが、まだ乗車できないほどではない。しかしそれも3つ目の橋までで、それ以降は乗ったり、押したりと走りにくい状況になってきた。
最初のつづら折れが始まる標高1,800m付近で積雪は20cmほど。ここからは自転車に跨ることが不可能となり、完全に押し進めることになった。雪の深さは標高を上げるごとに増していき、1,900m地点を過ぎると膝程度、更に上部へと足を運び続ければいよいよ腿まで潜る地点も現れ、峠までの遠く厳しい苦行となった。
先行しているM・F両氏の踏み跡を見ると苦労していることが容易に想像でき、こちらはこちらで遅々として進まないラッセルをひたすら続けるのみだった。
標高2,000mを越えた。
ここからは峠直下まで緩斜面のトラバースが続く。
夏であれば何てことのない道だが、今回ばかりは相当なストレスが溜まり、途中で何度も大声を上げた。
空を見上げて大きくため息。
「なにやってるんだろう」
途中の細かなつづら折れでは何とかしてショートカットを試みるも「いや、違うだろ」と自分を戒め、急がば回れとノロノロと歩みを進めるしか手立てがなかった。
まったくもって非効率な作業にうんざりした頃、見覚えのあるヘアピンカーブが視界に入った。そう、これは大弛峠へと続く最後のカーブだ。
時刻は峠への到着予定時刻を2時間も過ぎ、少々焦りも感じ始めていたのだが、ここで急いだところでどうにもならない。
自転車という荷物を携え、もうこれ以上早く進むことはできないのだ。
「装備は十分にある」
「ビバークだってできるし峠には避難小屋があるんだ」
「自分の気持ち次第でどうにでもなる・・・」
沈着冷静。
それは岩に対峙している瞬間であり、8千㍍峰の頂上にたどり着く瞬間に思ったことと何ら変わりない魔法の呟き。
沈着冷静。
再度、心の中でそう呟けば時間に対する感覚は「重荷」ではなくなり、フッと気持ちが緩んだ瞬間、寒々しい広場に到着した。
大弛峠。
そう、待望の大弛峠に到着したのだ。
峠上は風で雪が飛ばされているため、ほとんど雪がない。そして、舗装された広場はわずかな積雪の下のアイスバーンを覗かせていた。
そして驚くほどに、嬉しさというものがこみ上げてこない。
きっと疲れ切っていたのだろう。
安全地帯に入ったことで、むしろ安心感のほうが勝っていたのだと思う。
「切り抜けた」と。
と、同時にこれはデジャブか・・・似たような経験があったことを思い出した。
あるヒマラヤの高峰に登った時も、まったく嬉しくなかった。
その瞬間までは、頂上に着いたら涙が出るほど嬉しいんだろうなと想像していたが、現実は違った。
1分1秒でも早く下りたかった。
その一心。
「早く降りなければ死んでしまう」
そんな脅迫観念に襲われていたのだ。
時計に目を向け、時間に余裕がないことを確認するとセルフィーを2枚だけ撮って、すぐに峠を出発することにした。
いや。
時間的に僅かながら決めかねた。
冬期小屋に泊まることはできる。
そして恐らくは、ここから暫く自転車に跨ることはできないと確信していたからだ。場合によってはアコウの土場までは乗れないかもしれない・・・。
そう思うと、ここに泊まるという選択肢もあった。
だが、今回は下る決心をした。
自分の中の本能がそう決めさせた。
「六本楢峠まで陽よもってくれ!」
峠のゲートを潜り、塩山方面へ下りだすとほどなく押しとなる。ここは南面なので、わずかに期待していたがやはり予想通りの積雪量。
ここは信州側から甲州側へと風が吹くため、吹き溜まりになるのだ。
下りなので押してもそう苦労はないのだが、それでも乗れないという事実は不条理極まりなく、時には天に向かって叫び、悪態をつき、自分を罵りながら歩みを進めていた。
結局、峠から1時間と少しの間は押しとなったが、予想通りアコウの土場からは徐々に乗れるようになってきた。
そう、幸運なことにパトロールもしくは保守管理の車であろう、はっきりとした轍が現れたのである。
夕闇との競争。
気を遣うアイスバーンの下り。
頼りは無数にピンが打たれたスパイクタイヤと自分の度胸だけだ。
限界ギリギリのスピードで下っていくが、六本楢峠で完全に暗くなり、ヘッドランプとテールライトを点灯させた。それでも舗装路の下りは、今までとは比べ物にならないほど快適だ。
凍てつく寒さに堪え、舗装路のコーナーでは滑りやすいスパイクタイヤから出る火花を見ながら、自分はあのニューサイクリングの記事を思い出していた。
あれから32年。
自転車から一度は離れたものの、遠い昔に置いてきた大きな「宿題」を完遂することができた。
今は疲れ果てて大きな喜びも沸いてこないが、数日後には大きな達成感となって自分の心に焼き付くだろう。
改めて山サイ研の先輩諸氏の記録に感服、そして、あの心ときめくような記事を書き記していただいたことに感謝しつつ、寒さで動かなくなったドロッパーポストに苦労しながら塩山駅へと最後の疾走をしたのであった。

【1日目コースタイム】
桜平下駐車場06:30-桜平07:20-夏沢鉱泉07:50/08:02-オーレン小屋09:02-夏沢峠09:35/09:55-本沢温泉10:21/10:36-富士見平11:05-本沢温泉入口11:19/11:39-稲子登山口12:01-信濃川上13:30-川上山荘15:54

【2日目コースタイム】
川上山荘07:18-川端下バス停07:26-森林管理署小屋跡08:59-大弛峠15:20/15:23-アコウ土場16:57-六本楢峠17:33-柳平17:40-塩山駅18:40/19:36(電車)-茅野駅21:02(タクシー)-桜平下駐車場21:45-自宅00:20

最後に、このツーリングのきっかけとなった記事をニューサイクリング誌に寄稿した荒川・小林両氏に深く感謝。
快く旅に出してくれた妻に感謝。
そして同行してくれたM氏・F氏に御礼申し上げます。

【参考資料】
1986年2月号 ニューサイクリング誌「厳冬 大弛峠」 荒川雄行・小林正樹
緑の小径15号「年始ラン」鈴木敦


~思いつくままにアドバイス~
●当然だが、冬山登山の心得がない者は冬期の山岳地帯で山岳サイクリングをすべきではない。
●寒さに対する装備必須。最低気温でマイナス20度前後も予想されるため、しっかりとした対策が必要。
●初日の最低気温はマイナス14度、2日目はマイナス15度だった。
●寒さと風は人の精神力を削り取る悪魔。
●肌に直接触れるものを濡らさないようにすることが肝要。
●末端が冷えるのは人間の基本的な生理現象。絶対にコアを冷やしてはならない。
●パッキングはすべての物品をビニール袋に収納してから。
●事前の調査を忘れずに。特に積雪量と道路状況に関しては念には念を入れて行うこと。
●寒冷地では自転車に対する影響も大きい。電動駆動系は寒さでバッテリーの能力が低下し動かなくなる。
●携帯電話の電池には気を配ること。最後に連絡を取る手段として重要な命綱になる。
●無線電動式のドロッパーシートが下がったまま動かなくなり、塩山駅までの舗装路で難儀した。
●装備は万一の事を考えて、使わない物があっても、それは生きるための装備だと思えば持参した方がよい。
●軽量化のため、登山の装備・自転車の装備で兼用出来るものはぜひ活用したい。
●スパイクタイヤは圧雪・アイスバーンで有効。舗装路では足枷でしかない。
●単独行は絶対に止めたほうがいい。
●登山届は必ず提出すること。
●携帯の電波はルートのほぼ全域で受信可。
●酒宴のために買って残っていたウイスキー。軽量化のため途中で中身を捨てたが勿体ないことをした。
●道具の進化は凄い。
●柳平から塩山までのクリスタルライン(県道杣口線)は街灯がなく真っ暗だ。
●川上山荘は超おすすめ。集中ランに引き続き2度目の宿泊だったが、やはり快適だった。
●50歳にもなってなにやってんだか・・・。
●二度と自転車を持って厳冬の大弛に行くことはないと思う。もうこれで十分だ。

厳冬の大弛峠。
電動のドロッパーシートは低温のためバッテリーが低下。すでに下がったままだ。
ニューサイクリング誌1986年2月号。